ほうれんじ
愛媛県西条市朔日市543
当山11面観世音菩薩は、延暦年間、大師入唐の砌、玉津船屋の浜辺に順風を待っておられた時、大師の徳を慕う者達が一行の世話をし別れを惜しんだ。大師はその人達の為に浜辺近くの丘に小さな庵を結び、御手づから..
当山11面観世音菩薩は、延暦年間、大師入唐の砌、玉津船屋の浜辺に順風を待っておられた時、大師の徳を慕う者達が一行の世話をし別れを惜しんだ。大師はその人達の為に浜辺近くの丘に小さな庵を結び、御手づから彫刻された御尊像を祀られ残して行かれた。以来「十地山清浄光院」として市内四軒町に移し一帯の地に七堂伽藍の偉容を誇っていたが「天正の兵火」に遭い焼失。その後、四軒町「小川氏」「神保氏」両氏の屋敷に仮安置されていたが、寛永八年、現在地に移った。古来より観音信仰は民衆の間に非常に厚く、尊い霊仏である。現在の御脇立の33体の仏像は、西国33ケ所の御本尊で「安阿弥」の作と伝えられている。元は無本寺であったが寛永11年「御室御所仁和寺」の末寺となり「北海山宝蓮寺」と改める。北海山宝蓮寺の山号の由来は、寺伝によれば、北斗星に祈りを込めて星運を守り福徳が授かるようとの願いに依り名付けられたものである。
北海山
真言宗
御室派
大日如来
四国三十三観音霊場第二十四番
有り