ほうしょうじ
神奈川県逗子市沼間4-1-1
もともとは、田越川最上流、長尾山の麓にあった善応寺に始まり、感応寺、正覚寺と寺名を変え鎌倉時代に日蓮宗に改宗して法勝寺と改められました。法勝寺の山の上にある天台宗の古刹、神武寺と並ぶ歴史を持っている..
もともとは、田越川最上流、長尾山の麓にあった善応寺に始まり、感応寺、正覚寺と寺名を変え鎌倉時代に日蓮宗に改宗して法勝寺と改められました。法勝寺の山の上にある天台宗の古刹、神武寺と並ぶ歴史を持っているといわれています。 法勝寺の興りは、長尾山の麓に住んでいた七頭の大蛇を岩殿寺や神武寺を訪れていた行基菩薩が退治し、現在本堂に安置されている十一面観音像を彫ったことに始まるといわれています。
逗子市沼間は、沼浜郷と呼ばれ武士屋敷があったが、源頼朝の父、義邸宅は法勝寺のあたりにあったといわれている。すぐ近くにある光照寺は、義朝の長子悪源太義平の菩提寺。義平の生誕地は法勝寺と伝えられている。
沼間山
日蓮宗
不詳
釈迦牟尼佛
沼間山 法勝寺