かんのんじ
愛知県岡崎市城北町15-17
觀音寺は、遠く奈良時代聖武天皇の御代、神亀3年(726)行基菩薩によって開創され、はじめは正福寺と称し、天台宗に属していたことが、寺記に伝えられている。寿永年間、平清盛の臣、高橋判官長網により破却さ..
觀音寺は、遠く奈良時代聖武天皇の御代、神亀3年(726)行基菩薩によって開創され、はじめは正福寺と称し、天台宗に属していたことが、寺記に伝えられている。寿永年間、平清盛の臣、高橋判官長網により破却されたが、その後40余念を経て、当地の目代(代官)半澤六郎によって再興され、当時、特名高い豊川明言寺玄上和尚を住職に迎え、曹洞宗に属することになる。その後星霜を閲すること300年、永世年間に至り、三河松平家三代信光の八男、当地の城主光親が堂宇を再建して、 觀音寺と称し、以来子孫代々、家運長久の祈願所として尊崇してきた。
見松山
曹洞宗(禅宗)
釈迦牟尼如来
三河三十三観音霊場 第四番
有り