豊受大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の六年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行の処として此地をその鎮の宮と定められた。
これより後聖武天皇の神亀二年(七二五年)勧請、遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ、のち遠馬三郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神としてあがめられた。江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神と改称した。
御神殿は始め御陵を御神体と崇め拝殿のみであったが、のちこれを改めて内殿の創建が行なわれた。また治承四年七月渋谷重国と遠馬三郎時国公によって神門・社殿その他が新しく造営されたが幾多の兵乱に類焼し再建を重ねてきた。
これより先仁明天皇の承知八年御陵より天照皇大神をご遷座した。奉幣は重陽九月九日、内宮は九月十日と定められた当時の御神域は後陵の伊勢山及び御神林御廟地をあわせて五万六千余坪といわれた。