しゅっせふどうそん
東京都千代田区内神田2丁目6−9
徳川家の表鬼門除けとして祀られたもので、本尊は智証明大師作。東潮院不動尊とも言う。明治以降、神田松下町の有志によって管理され、第二次世界大戦までは院内に川越喜多院の僧・野川良源が住み仕えていた。昭和..
徳川家の表鬼門除けとして祀られたもので、本尊は智証明大師作。東潮院不動尊とも言う。明治以降、神田松下町の有志によって管理され、第二次世界大戦までは院内に川越喜多院の僧・野川良源が住み仕えていた。昭和20年(1945)二月、戦災により本堂は消失したが、本尊は野川良源が生国の九州天草(熊本県)に避難させていたため無事であった。第二次世界大戦後は、神田鎌倉町の要請を受けて、出世不動通りが管理した。都内でも由緒ある不動尊として知られており、明治の頃には毎月二日、十五日、二十日、二七日に縁日が行われ、植木商などが市を出し盛況であった。後に縁日は毎月二七日のみとなるが、縁日と歳末の羽子板市には多くの人が集まり大変にぎわったという。現在の本堂は、昭和六三年(1988)年七月に完成。出世不動とは、相撲取りが信心すれば出世すると言い伝えられたことが始まりと言う説もあります。