ほんぷくじ
滋賀県大津市本堅田1-22-30
鎌倉時代・正和年間(1312年 - 1317年)、御上神社の神職であった善道が覚如に帰依して弟子となり創建した。2世・覚念が浄土宗に改宗したが、3世・法住の代に再度浄土真宗へ戻る。当初は佛光寺の末寺..
鎌倉時代・正和年間(1312年 - 1317年)、御上神社の神職であった善道が覚如に帰依して弟子となり創建した。2世・覚念が浄土宗に改宗したが、3世・法住の代に再度浄土真宗へ戻る。当初は佛光寺の末寺であったが、巧如によって本願寺直末となった。 法住の時期には寛正の法難に遭った蓮如が、当寺を拠点に真宗の布教を行った。応仁2年(1468年)になると、もともと堅田の街や真宗と対立していた延暦寺が「堅田大責(かたたおおぜめ)」と呼ばれる攻撃を行い、堅田の街や本福寺は焼失した。4世・明顕とその弟子・明宗(のちの5世)によって寺は再建された。 しかし、蓮如の6男で実如の弟である蓮淳が近隣の顕証寺(現・本願寺近松別院)に入ると、勢力圏が重なる本福寺に危機感を覚えて圧力を加え、さらには門徒を奪うなどの実力行使に出た。5世・明宗や6世・明誓が著した文書類は「本福寺跡書(ほんぷくじあとがき)」の名で、圧迫のようすを詳細に今に伝えている。 江戸時代には11世・明式(俳号・千那)が俳聖・松尾芭蕉の門人となり、12世・明因、13世・明観もそれぞれ角上・角三と号して俳諧を嗜んだ。
夕陽山(せきようさん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
正和年間(1312年 - 1317年)
阿弥陀如来
善道
夕陽山本福寺
無料
無し(堅田観光駐車場を利用)
有り