ひえじんじゃ
滋賀県湖南市下田3259
詳ではないが、應永年間当地が開拓されたとき日吉大神の御分神を祀ったと傳えられる。当時の鎮座地は現境内地から東へ一町慶圓寺の近く門脇にあった。寛文年間当郡郡代藤原宣興清浄な丘陵であった現境内地を選んで..
詳ではないが、應永年間当地が開拓されたとき日吉大神の御分神を祀ったと傳えられる。当時の鎮座地は現境内地から東へ一町慶圓寺の近く門脇にあった。寛文年間当郡郡代藤原宣興清浄な丘陵であった現境内地を選んで、全下田地區の人々と協力して土地を整備し樹木を植え、社殿を造営し、寛文12年遷宮祭が奉仕された。領主源利重は新墾の田五反歩と白銀50両を寄進。天保4年有栖川宮韶仁親王から御染筆の山王十禅師の額字を御奉納。嘉永4年社殿を改築。安永5年拝殿を再建。昭和44年再度造営。明治31年有栖川宮成仁親王御染筆の日枝神社の額字を御奉納。有栖川宮家の祭祀を御継承になった高松宮の御婚儀に際し、当地産金箔で謹製した屏風1雙を献納。又高松宮献穀田を設け、糯米を年々献上。 (日枝神社誌より引用)
主神:大山咋命 配神:八幡神、大年神、天忍穂耳尊、高皇産靈尊
旧村社
應永年間
5月1日
無し
有り