かいどうじんじゃ
青森県北津軽郡板柳町板柳土井21
海堂神社と改めたのは明治六年(1873)のことで、以前は「宝量宮」又は「宝令宮」と称していた。 文禄二年(1592)豊臣秀吉が朝鮮征伐の際、津軽為信が海上安全、国土繁祥の祈願所とし大川(今の岩木川..
海堂神社と改めたのは明治六年(1873)のことで、以前は「宝量宮」又は「宝令宮」と称していた。 文禄二年(1592)豊臣秀吉が朝鮮征伐の際、津軽為信が海上安全、国土繁祥の祈願所とし大川(今の岩木川)のほとりに建立した。 正保元年(1644)大川の守護と地元繁栄祈願のため神社を建て、この社名を「宝量宮」祭神は上津綿津見命・中津綿津見命・底津綿津見命とある。 のちに大川出水の度に社地が被害にあうため、承応元年(1653)現在地(土井)に遷宮し、現在の社殿は大正十三年に再建したもので今日に至る。
上津綿津見命 中津綿津見命 底津綿津見命
郷社
1592年(文禄二年)
宝量宮 宝令宮
板柳町指定文化財17号
無し