あまふりじんじゃ
福岡県田川郡川崎町川崎3868
創立・・人皇五代孝昭天皇四十九年(前二十六)の秋、 景行天皇(七一ー一三〇)長峽の都に在すとき崇敬があり祭祀料として多額の田地の寄進をうけた。人皇三十五代舒明天皇(*註1)(六??)のとき密嚴寺(..
創立・・人皇五代孝昭天皇四十九年(前二十六)の秋、 景行天皇(七一ー一三〇)長峽の都に在すとき崇敬があり祭祀料として多額の田地の寄進をうけた。人皇三十五代舒明天皇(*註1)(六??)のとき密嚴寺(天台)大日寺(真言)大聖寺(真言)薬師如来寺(天台)東蓮寺(天台)西山寺(真言)六か寺を神職四家で神事祭祀等行っていたが大友宗麟の兵火にて焼失した。天正八年(一五八一)九月今の社地へ宮殿を再建棟札には「再建寛文十一年(一六六一)(*註2)四月十三日小笠原家士(中老)大羽内蔵助政明とある。 扁額「阿満降大明神」筆者不詳。 (社頭由緒掲示板より 原文のとおり)
第一殿 天降神 鵜葦草葦不合命 第二殿 彦炎出見尊 天降神の父(天孫瓊瓊杵尊御子) 第三殿 豊玉媛命 天降神の母 第四殿 玉依媛命 天降神の妻 第五殿 彦五瀬命 天降神の第一子 第六殿 稻飯命 天降神の第二子 第七殿 三毛入野命 天降神の第三子 第八殿 磐余彦命 天降神の第四子 神武天皇 第九殿 海若宮主神 天降神の祖父
JR川崎駅、1.3㎞徒歩22分
なし