さいみょういん
岡山県倉敷市粒江町1214
平城天皇の御代 延曆25年(806)大同4年(809)弘法大師が諸国遊歴の折りここで虚空蔵求聞持法を修しようと造立した 修法の間様々な感応があり 海原の波の上に明星の影が見えたため海光山と称し修法が..
平城天皇の御代 延曆25年(806)大同4年(809)弘法大師が諸国遊歴の折りここで虚空蔵求聞持法を修しようと造立した 修法の間様々な感応があり 海原の波の上に明星の影が見えたため海光山と称し修法が終わった後 自ら不動尊を彫刻して本尊とし明王寺と呼ばれたが、いつの頃かは不明ながら本尊は一字金輪仏頂尊となった 弘法大師の開基にして昔海中に不動明王の尊像ありて海上に光を放っ故に山号を海光山と称し寺号を不動明王に依り明王寺という 寺の西に當りて光を放つを見により西明院と号す 明治6年に寺を現在の種松山上に移し種松山と改める
海光山から種松山に改号
西明院
真言宗
善通寺派
延曆25年(806)~大同4年(809)
一字金輪仏頂尊 不動明王
弘法大師
種松山明王寺西明院
児島八十八ヵ所霊場 第43番札所
無料
30分
有り
無し