よこやまさんしゃぐう
福岡県福岡市早良区脇山559−1
【ご由緒書きより】 日本書紀に、神功皇后新羅の航路を知るため脊振山に登られ、小山田邑に武内宿称に命じて斎宮を造らせ、天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷、七日七夜の末紙が皇后に神教があった。 ..
【ご由緒書きより】 日本書紀に、神功皇后新羅の航路を知るため脊振山に登られ、小山田邑に武内宿称に命じて斎宮を造らせ、天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷、七日七夜の末紙が皇后に神教があった。 皇后は神教に従って神々の御援助で新羅王は無血征服、天地のある限り貢すると約束をした。 皇后は新羅王城の門前に持っていられた槍を印に立て、帰国されて二〇一年都に帰せられ、二〇二年に斎宮の跡に神社を建立された。 この偉大な神社を、脊振神社という。横山郷八ケ村百七十町を授けられ、正六位上、貞観元年熊野の比丘尼、熊野三神の分霊を祀られた。 貞観十二年従五位下に昇授、神功皇后筑前に建立七社の随一であった。 長い年月の間には、盛衰があって天授元年脊振戦争の兵火等で焼失、慶長四年小早川秀秋の時、神領もことごとく没収、神社は消滅状態となった。 現氏子中て安永八年巳亥現神殿を新築、現地に遷座、社名を横山三社宮と改名された。
奥津島比売命 多岐都比売命 市杵島比売命
有るが狭い
無し