天平神護2年(766年)は近江の5戸を以て神封にあてられ、延長6年(928年)は神位として記録上にその名がみえる。
戦国期の天正3年(1575年)に社内の森が焼失して以降、多賀大社の末社となる。江戸時代、元和2年(1616年)12月には多賀大社境内に遷座するが、幾年か後に旧地へ遷座した。
慶応2年(1866年)に大風に襲われ、社殿が大破する。その後修復されるも、明治13年(1880年)に社殿が倒壊したため、多賀本社の社殿に合祀される。社殿が建て直され、大正9年(1920年)に旧地(現在地)へ還座する。昭和9年(1934年)3月10日、多賀大社の摂社に指定される。