みょうれんじ
広島県福山市鞆町後地1203
寺宝は日饒上人(にちじょう)の御本尊曼荼羅で、京都にある本山、妙顕寺より寛永3年(1626)に授与されたものが現存し、これが妙蓮寺の創建を証明している。寛永16年(1639)二代福山藩主水野勝俊は、..
寺宝は日饒上人(にちじょう)の御本尊曼荼羅で、京都にある本山、妙顕寺より寛永3年(1626)に授与されたものが現存し、これが妙蓮寺の創建を証明している。寛永16年(1639)二代福山藩主水野勝俊は、藩主に就任するまで鞆に居住し「鞆殿」と言われていた。その水野勝俊の庇護もあり、勝俊の位牌がこの寺にある。勝俊は沼名前神社の石鳥居を寄進しており、鞆とのつながりは強かったといえる。また、この寺は朝鮮通信使の常宿として使われた。そんな歴史豊かな妙蓮寺の境内に三十番神堂はある。1982年に実施された広島県近世社寺建築の調査報告書には妙蓮寺本堂、鐘楼、山門とも江戸中期、元文年間(1736~1741)に再建されたと記されているが、番神堂の記載はなかった。しかし、鞆の浦歴史民俗資料館の資料によると承応年間(1652~1654)に建立したとあり、現存する建物の建築年代は不明であるが、本堂はこの時のものかも知れない。明治初年に神仏分離がなされ、神社が所有していた鐘楼や御神仏など仏的要素は徹底的に処分された。お寺には、特に三十番神を祀ることは禁止されたが、常国寺と、ここ妙蓮寺のは廃棄処分を免れ現存している。
法昌山
日蓮宗
慶長年間(1596~1614)
釈迦如来
バス:JR福山駅から鞆港まで約30分
なし
向かいの鞆中央公園にあり