かわさきいなりじんじゃ
岩手県久慈市長内町第23地割25
昭和2年常盤商会が久慈地方で砂鉄の製錬を始めるにあたり、久慈浜に鉄骨の製錬工場を建設した。その築工場の守護神として、伏見稲荷大社より稲荷神二体の分神を得て、一体は久慈浜の工場にもう一体は鉱山部の白山..
昭和2年常盤商会が久慈地方で砂鉄の製錬を始めるにあたり、久慈浜に鉄骨の製錬工場を建設した。その築工場の守護神として、伏見稲荷大社より稲荷神二体の分神を得て、一体は久慈浜の工場にもう一体は鉱山部の白山にそれぞれ鎮座された。昭和8年3月3日の三陸沖地震津波により久慈浜工場が大きな被害を受け、ご神体は建物もろとも埋没してしまったが、掘り起こしてみると屋根の柾一枚も落ちておらず、稲荷神のご加護の偉大さを思い知らされるものがあった。かくして昭和15年川崎製鉄となり、現川崎町に工場の移転に伴い「川崎神社」として迎えられ、製鉄所従業員の礼拝を受けてきた。昭和53年9月川崎製鉄工場の撤去により稲村寛一氏と相計り、川崎神社のご神体を現在の稲荷神社に遷座することとした。
有り