とようけじんじゃ
岐阜県瑞穂市生津字森下145番地
当社は伊勢の豊受大神宮の御分霊を奉斎し、衣食住のお恵みをお与えくださる産業の守護神であらせられる。創建年月は判明しないが、伝記によれば垂仁天皇第四皇子倭姫命が、天照大御神の神霊を奉じ、各地を遍歴され..
当社は伊勢の豊受大神宮の御分霊を奉斎し、衣食住のお恵みをお与えくださる産業の守護神であらせられる。創建年月は判明しないが、伝記によれば垂仁天皇第四皇子倭姫命が、天照大御神の神霊を奉じ、各地を遍歴され、美濃国伊久良(居倉)に滞在後、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと、生津の地に逗留、舟旅にて伊勢に向かわれたと伝えられている。舟が出入りし故に生津といい、森の下で泊られし故に森下とよぶなど今に伝わり、尊き御跡として、大御神を齋祀し崇敬され伊勢並の神宮として、内宮外宮を奉遷し、祭礼には両宮一体の伝統ある神事が営まれている。伊勢湾台風にて倒壊した社殿を昭和35年に再建した。創立年月不詳と雖も本村内宮皇太神宮鎮座よりは当社外宮豊受大神を齋き祀ことは遙かに後のことなれども、此の宮は内宮の東南に当たりて、其の間四町余り隔たり其の間を大門と云ふ。是より西戌の方を古市場と云ひ、往昔の鳥居は墨俣の地にありて馬に騎りて其の前を通ることを禁せしと云ふ。
この地、生津の内宮(神明神社)外宮(豊受神社)と呼ばれる二社の一つ。
豊受大神(とようけのおおかみ)
5月4日
矢射り神事「おからす」