【神社ご由緒書きより】
古くは六所権現と称し、養老年間の仁聞菩薩の創建と伝えられる。
南北朝時代の応安六年には由原八幡宮、金蔵院宮師の主唱で、神前にて法華経一千部読の大祈願会を行った。
隣地には金龍山妙覚寺の跡もあり、神仏習合の色彩が強い神社である。
周辺には、五輪塔の多数出土した塔の迫や、寺屋敷、上寺、大門、十王堂、若宮、用作等の屋号や地名が今でも残っている。
天正十四年の豊薩戦の兵火にかかり社殿、宝器等はことごとく焼失したが、寛文十年に社殿を再建。
明治五年阿南神社と改名。
現在の社殿は明治十五年の造営である。
十二月の甘酒祭は有名です。