当社御祭神は文学書道に秀でられた学問の神であり又天神様として一般庶民にも親しまれ厄除と厄払の神として尊崇をあつめている。当宮は道真公が出雲路に御来行の時この地を通られ遊木家(天神屋)にて休憩されたと伝えられるゆかりの地にて約八百数十年以前に創建され 古くは神門郡朝山郷の鎮守として護持せられ天正六年(一五七八)十月毛利元就の三男広島県三原城主小早川隆景公により社殿再建次いで寛永十八年(一六四一)十月松平初代藩主出羽守直政公によって再興造営がなされ藩公崇敬の社となり郡中血判の社であった。明治以後村社に列せられ数度の社殿改修が行われて昭和四十三年三月現在の本殿を軸立ち遷宮し又平成七年十月に拝殿を新築神域を整備しさらに神徳を高からしめている。