よしのじんじゃ
埼玉県比企郡小川町木呂子303
木呂子には、古くから天神社があり、武藤家が氏神としてそれを祀ってきた。「風土記稿」に「天神社 村民持」とあるのは同社のことで、武藤家にある薬師如来像が鎌倉時代の作であることから、当社の内陣に安置され..
木呂子には、古くから天神社があり、武藤家が氏神としてそれを祀ってきた。「風土記稿」に「天神社 村民持」とあるのは同社のことで、武藤家にある薬師如来像が鎌倉時代の作であることから、当社の内陣に安置される天満天神座像も鎌倉時代の作と伝えられている。明治八年、武藤又兵衛が社地と大杉を地内の松本吉兵衛に売却したのを機に、当社は近隣八戸を氏子とするようになり、翌九年には村社になった。更に、明治四十一年(「明細帳」では四十二年二月)には地内にあった無格社山神社・八王子神社・稲荷神社が当社に合祀され、大正十五年には、木呂子が古くは「吉野の里」と呼ばれていたことにちなんで、社名が吉野神社と改められた。 当社には、摂社として天手長男神社と梅之宮神社が祀られている。前者は、天保の初め、当地に大火災があり、以後、火災を恐れた村人が天保十五年(1844)に寄居町小園にある天手長男神社の分霊を奉斎したものであるという。後者は、養蚕を奨励し、村に繁栄をもたらした領主小野朝右衛門を讃えるために、安政二年(1855)に領主から賜った鏑矢と矢じりを神体として祀った社である。 「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より
菅原道真公
天満天神座像
旧村社
一月一日 元旦祭 一月十七日 初午祭 四月二十三日 例祭 十月十五日 秋例祭
JR八高線 竹沢駅出口から徒歩約23分