そうしゃじんじゃ
滋賀県草津市志那中町240
往古は科戸明神と称え、延喜式内名神に列せられる也。 斯して、「大津ノ宮」繁栄と共に、科戸ケ浦は湖上の要港 として、茲に尊崇され彌々以て、永い歴史と由緒を持つ 古社なり。 社記に人皇三十八代天智天皇..
往古は科戸明神と称え、延喜式内名神に列せられる也。 斯して、「大津ノ宮」繁栄と共に、科戸ケ浦は湖上の要港 として、茲に尊崇され彌々以て、永い歴史と由緒を持つ 古社なり。 社記に人皇三十八代天智天皇四年乙丑右大臣中臣金連勅を 承けて風神を鎮祭して意布岐神を尊崇せしに創まると云う 古来、意布岐総社宮、総社大明神惣社神社等種々称号し、 梵刹、北志那大般若寺坊舎十二宇甍鎮守の神として崇め 奉られ、奈良、平安、鎌倉各時代を通じて社頭大に繁栄す。 湖東志那三郷の惣氏神なり。之即ち延喜式内栗太郡八座の 其の一意布岐神社、これなりと、昭和十三年七月付郷社に 昇格する。
創祀年代不詳であるが、社記に天智天皇四年右大臣中臣金連勅を奉じて風神を鎮祭し意布伎神と尊崇したに創まるという。
志那津彦命 志那津姫命
式内社(小)論社 意布伎神社
4月24日
無料
無し
あり