あんらくじ
岐阜県各務原市小佐野町4-197
河野九門徒のひとつ。嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国から帰京する際に立ち寄った三河で説法をし、それを聞いた門間庄の住人が草庵として各務郡伊吹村寺島(現・各務原市蘇原寺島町)に創建した。このことから..
河野九門徒のひとつ。嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国から帰京する際に立ち寄った三河で説法をし、それを聞いた門間庄の住人が草庵として各務郡伊吹村寺島(現・各務原市蘇原寺島町)に創建した。このことから山号を「寺島山」としている。 文明2年(1470年)、蓮如が草庵を再興して9人の門徒が創建した9ヶ寺を「河野九門徒」とした。 永禄年間10世圓秀法師の頃、織田信長が岐阜城を攻めたとき、城下にある全ての寺社を焼き払うとの噂が流れた。門徒たちは堂に集まって避難するかどうかの協議を重ねるが案が出なかったため、門徒代表のひとりである伊藤某(現・岐阜市切通に在住していた)が本尊阿弥陀如来像を守ることとし、折からの雨の中菅笠をかぶって本尊を背負い現在の「如来塚之跡」(現在の安楽寺から南東、稲葉本通りの5差路)まで避難した。 結局噂ではなく実際に兵火に遭い、安楽寺は焼失した。その後尾州尾関村(現・一宮市浅井町尾関)に逃れて再興されるが、江戸時代初期に現在地へ移転した。
小佐野町(こざのちょう)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区岐稲組に所属している。河野九門徒のひとつ。
寺島山(じとうざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
阿弥陀如来
寺島山河野安樂寺(こうのあんらくじ、門徒の証言による)
河野九門徒のひとつ
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有り(山門横)