由来
当神社は飯山満町三丁目一四六五番地に鎮座まします大神にて王子神社と称し、祭神は、建御名方神を祭る飯山満町三丁目に唯一の産土様で旧下総の国上飯山満村でも最も古く、現在の神社は文政五年再建され当時織戸加賀守藤原光晴が神主として奉仕して参った事が今も本社内に記されて居ります。祭神は大国主之命の次子で長野県諏訪市に在る元官幣大社諏訪神社の分社で全国に約五千五百社を数える上諏訪町上社・下諏訪町に下社が鎮座まします建御名方神は父神大国主神と共に我が国建国の功労神とされその後八坂刀売神は、信濃国が生んだ女神で、両神は揃って信濃の国の開拓に力を尽され、その功績は今も広く伝えられています。明治初年織戸家(赤門神主)及び近隣大火災の為、書類消失なれ共昔より、長久三丁目の先祖の氏子が四十五戸の家々で現在の神社を再建し奉り敬神の念厚く家運隆盛、家内安全を願い奉って参りました。戦後(昭和二十年後)多くの方々が此の飯山満町に移住し来り先祖として立派に開拓されて、三丁目も今や二千戸を数える唯一の神社として開拓の神、交通安全の神として祭られております。皆様も協参奉賛会に御加入願います。