三代物語、全讃史などには、用明天皇時代の創立。社伝によれば、養老年中僧行基により創建され、その後、天長7年道昌僧都、保元2年植田村神内城主神内右近政成などによって社殿の修改築が行われた。
文亀3年に火災により、社殿、神門、宝蔵などをすべて消失するが、永正元年に植田村神内城主神内佐渡頭重次が再建し、寛永10年、明治4年に社殿の再修築が行われた。
天正年中には植田美濃守から二十石が寄進され、生駒氏が国主となり社領二石四斗二升の寄進があった。寛永年間には藩主松平頼重から梵鐘と先例にならい二石四斗二升の寄進があり、松平頼恕まで寄進が続いた。明治4年には郷社に、明治40年には、神饌幣帛料供進神社に指定されている。
なお、現在の主な社殿は、本殿、幣殿、拝殿が昭和5年に、藤尾会館が平成15年に建設されたものである。