やのくらいなりじんじゃ
東京都中央区東日本橋2丁目6
今日隣接する東日本橋一丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、天保二年(1645)幕府が米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称されていました。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社をまつりました。三社..
今日隣接する東日本橋一丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、天保二年(1645)幕府が米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称されていました。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社をまつりました。三社は中央に「谷野蔵稲荷」、左に「福富稲荷」、右に「新左衛門稲荷」からなりたっていましたが、五十年程経て 元禄十一年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に、三社稲荷を一緒に移されました。御蔵跡の後地に居住する人達がその名を惜しんで、そこに三社稲荷を残し今も尚東日本橋一丁目に「矢の倉三社稲荷」として祭られております。 後年明治六年(1873)には「新左衛門稲荷」が、昭和7年(1932)には「福富稲荷」が当町にある「初音森神社」に遷座合祀されたと伝えられ残る「谷野蔵稲荷」は幾多の変遷場所を変え現在地にてその社を構えるに至りました。その名称に使われている文字もいつの頃から「矢の庫稲荷」と特に「庫」の文字を強調した呼称に改められました。祭神は「三社稲荷神社」と同様「宇賀魂命」と考えられ御神躰は勿論現存しないわけですが翁の形で手に鎌と稲穂を持つと伝えられています。 昭和五十三年二月 矢の庫稲荷世話人 (境内の由緒より)
宇賀魂命
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無し