『甲斐国志』(1814)神社部に「諏訪明神八幡宮相殿 小沼村本町ノ産神ナリ」とある。
社伝によると、日本武尊が東征の帰路に東国開拓と国家鎮護のため諏訪大神を祀ったのに始まり、文永十一年(1274)に八幡大神を創祀して相殿神とした。
現在小沼本町の産神であるが、本殿に掲額の元禄七年(1694)「諏訪御宮宝賀帳」には「小沼村惣うふすな様(総産土神)」に対して本町からの寄進に加え、柿曽根村(柿園村)、新町(上町)衆からも寄進があった。同じ本殿掲額の宝暦六年(1756)の「当村鎮守諏訪大明神八幡宮」への奉加帳には本町氏子、新町氏子、柿曽根氏子が名を連ねていた。このころは小沼村全体の産土神であったと考えられ、上町位・柿園が分離して浅間神社の氏子となったのがいつであったか詳らかでない。
明治四年(1871)社格制度により村社に列格、大正十二年神饌幣帛共進社に指定された。
末社として、稲荷神社、長命神社、秋葉神社、山の神、津島神社、厄神、疱瘡苞瘡神、道祖神がある。
境内の西側の一隅に明治四十二年(1909)に「五俊人の碑」が建てられている。幕末から明治にかけて西桂町で郷土のために活躍した五人の人物の遺徳をたたえ後世に伝えるための顕彰碑である。