てんまんじんしゃ
山形県新庄市堀端町6-6
本社の創立は寛永五年八月であり新庄藩主戸澤家累代の氏神である。 往時同家羽 州秋田仙北郡角館より常州松岡に転封の際同所に遷座し、更に元和八年戸澤政盛常州松岡 より新庄に移封され、寛永五年新庄城内に遷..
本社の創立は寛永五年八月であり新庄藩主戸澤家累代の氏神である。 往時同家羽 州秋田仙北郡角館より常州松岡に転封の際同所に遷座し、更に元和八年戸澤政盛常州松岡 より新庄に移封され、寛永五年新庄城内に遷 座する。 明治六年二月郷社に列し、次いで同 十二年八月十三日県社に昇格し、大正十一年五月に天満神社とする。 戸澤家歴代の領主が氏神として尊崇信仰し本丸内に遷座し朝夕参拝を怠らなかった。 こ 天満神社の御神体を年に一度の例祭日に、 一般の領民全員にも参拝させ安穏を祈願させる様に試みる。 新庄藩五代城主戸澤正諶公の宝歴五年の年は全国的な大飢饉の年である。 翌六年旧九月 二十五日本丸南西隈に祭る天満神社の例祭日 に始めて屋台を飾り付け市内を練り歩かせ世直しとし領内の豊作と安寧を祈願すると共に 人数の向上を計った記録が残っている。即ち 吉川町の鍛冶町東詰、自性院境内に仮宮を 造営し九月二十五日に此の処に御神体を渡御 して領民に親しく参拝させる。神輿内に御神 体を移し申し城内より吉川町仮宮での神 輿をする行列を尊厳にする為に特頭町奉 行鎗奉行等七〇余名他に上名数を供奉警護 させたのが現在で伝している神輿渡御す なわち新庄まつりの起源である。 藩政時代に は胸に厳粛にしかも難しい制度により行列が 組まれ実施されたもので、祭典奉行さえ毎年 臨時に仮名されてせこした物頭は緑高一二〇 石以上の直侍が特に先頭部に立たされた点が 注目される。これらの行列の内外の警固 厳重な定めの警の声等、また行列進行前の横 断中の歩行の禁止、土下座、階上よりの拝観 禁止等の厳格な定めは戦前まで守られてきてい る。現在は新庄市の観光事業の一大行事となっている。
菅原道真
六級社 旧県社