じゅうどのしゃ
埼玉県さいたま市緑区中野田
中野田の地名は湿地を意味するヌタに由来するという。当社は、『風土記稿』中野田村の項に、曹洞宗明照寺の境内に「重殿権現社」と載り、「村の鎮守なり、当社は古くからありて重殿山と唱へしが、当寺中興の時今の..
中野田の地名は湿地を意味するヌタに由来するという。当社は、『風土記稿』中野田村の項に、曹洞宗明照寺の境内に「重殿権現社」と載り、「村の鎮守なり、当社は古くからありて重殿山と唱へしが、当寺中興の時今の如く構の内となし、これをも山号となせり、(以下略)」とある。明照寺については、当地を領していた春日八郎景定が、側室の月宮院慶誉明正の追福のために中興したと伝わることから、当社は、景定が没したという元和元年(一六一五)以前には、既に祀られていたことがわかる。 創建の由来については重殿が蔵王殿の転訛とされることから、明照寺にかかわった修験との結び付きがあったと考えられる。また、重殿は「水殿」(スウドノ)に通ずるともいわれており、低地に開かれた耕地が度々綾瀬川からの出水を被っていたため、川を鎮める神として祀られたことが推測される。 主祭神は日本武尊であるものの、本殿には、その経緯は明らかではないが、厨子に納めた騎乗の八幡大明神像が安置されている。その厨子の底部と裏面には、各々「御縁日十五日正常奉込弥陀如来守護所 遷宮勧請松翠欽白」「奉造立神体当寺五世翠岩桂造 享保十四年(一七二九)己酉五月十五日造工江戸白銀町佛師徳水」と記されている。 これに見える阿弥陀如来は八幡大明神の本地仏である。(「埼玉の神社」より)
日本武尊
江戸時代築 一間社流造
元旦祭(一月一日) 春の祭礼(四月二十四日) 祇園祭(七月十三日) 大祓(七月二十四日) 秋の大祭(十月十五日) 大祓(十二月二十四日)
本殿 市指定 有形文化財(建造物) 附 享保十一年扁額 一面