ぜんぽうじ
高知県吾川郡仁淀川町土居甲1023
1652年(明暦2年)以前に現在の高知市はりまや町近辺(旧・材木町)に創建された。1698年(元禄11年)10月6日に焼失するが翌年には高知市要法寺11世・本是院日受によって宝永町近辺(旧・新町)に..
1652年(明暦2年)以前に現在の高知市はりまや町近辺(旧・材木町)に創建された。1698年(元禄11年)10月6日に焼失するが翌年には高知市要法寺11世・本是院日受によって宝永町近辺(旧・新町)に移転・再興。その後1704年(宝永4年)10月4日に洪水によって流失の憂き目に遭うが、要法寺13世・元聚院日純によって梅ノ辻近辺(旧・材木町)に再移転・再興された。
1898年(明治31年)7月30日に仁淀川町(旧・池川村)の大庄屋である赤堀直郎の他、戸梶佐之助・池川善太郎・氏次源吾・氏次熊十郎等が現在地への移転を請願。当時の住職・藤城院日善[1]の尽力により翌年1月17日に許可が下り1900年(明治33年)2月10日に移転が完了した。その際、赤堀直郎から寄進された本堂が、2004年(平成16年)3月5日に国登録有形文化財(建造物)として登録された。
華園山
日蓮宗
達師法縁
国登録有形文化財:本堂