ちょうげんじ
群馬県安中市上後閑2913
当寺は室町時代嘉吉三年(1443)、信濃国御嶽の城主「依田信濃守源政知」により創建された。 依田氏は嘉吉元年(1441)信州より上州に進出し、当地の下後閑に後閑城を築城、以後三代約百年間居城し当寺..
当寺は室町時代嘉吉三年(1443)、信濃国御嶽の城主「依田信濃守源政知」により創建された。 依田氏は嘉吉元年(1441)信州より上州に進出し、当地の下後閑に後閑城を築城、以後三代約百年間居城し当寺を庇護した。 当寺の開山は曹洞宗総持寺五十二世「希明清良禅師」が迎えられ当時新興宗派であった禅宗の教儀を当地に伝えたのである。 以来「禅の修業道場」として数多の僧を輩出し、その教線は群馬長野・新潟・栃木・埼玉と広範囲に渡っている。 徳川時代御朱印三十石を賜り、寺有山林三百余町歩、末寺門葉百八十余か寺を有する巨刹として世に知られる。 然るに文化元年(山火事により堂宇ことごとく烏有に帰す。 その後檀信徒および門派寺院協力して名刹の復興に力をそそぎ現在の諸堂を再建した。 御本堂は釈迦牟尼如来・文殊菩薩・普賢菩薩像を安置し、他に曹洞宗開祖道元禅師ならびに蛍山禅師・開山希明清良禅師他の像が奉安されている。 また寺宝に「天狗の爪」「亀の尾の払子」などがある。
青木山
護国院
曹洞宗
嘉吉三年(1443)
釈迦如来
曹洞宗総持寺五十二世「希明清良禅師」
信濃国御嶽の城主「依田信濃守源政知」
1556年
新田信純
曹洞宗 青木山 護国院 長源寺
松井田インターより25分
有り