かしわぐらはちまんじんじゃ
山形県山形市柏倉910−1
康平6年、源義家陸奥征討の節、山城国石清水八幡宮の御分霊を勧請すると伝える。 慶長5年、最上義光、上杉軍直江兼続統合戦の折兵火に罹るも、義光勝利は御神威によることと社殿を再建、社領三百六十石を寄進..
康平6年、源義家陸奥征討の節、山城国石清水八幡宮の御分霊を勧請すると伝える。 慶長5年、最上義光、上杉軍直江兼続統合戦の折兵火に罹るも、義光勝利は御神威によることと社殿を再建、社領三百六十石を寄進する。 元和8年最上家改易後、幕領の折蔵米百六石を寄せられる。 慶安3年3月26日社殿悉く炎上、明暦元年社殿再興(棟札社宝として現存)時の領主松平忠弘、堀田正虎、真春、正亮、特に崇敬社殿修営、金米の寄進がなされる。 宝暦年中、堀田藩分領四万石支配の陣屋が当地に置かれてから領内四十余ヶ村の鎮護として栄え、明治3年5月10日郷社加列。明治16年社殿を改築。 同40年4月11日神饌帛料共進神社に指定。昭和40年3月5日社宝女神像山形市文化財に指定。尚御供田、正月田十二月田等現地名に存する。 平成24年5月7日未明の火災で本殿・拝殿・幣殿を全焼し、 平成28年4月17日現在の社殿を新築。
応神天皇
旧郷社 7等級
康平6年(1063)
9月15日
女神像(山形県指定文化財)