にいじんじゃ
山形県山形市二位田506
安永二年北条瑞益の編の縁起によると大同年間(806−810)塩釜六社大明神より分神、その後荒廃する。たまたま宝暦七年五月二三日大洪水の時、十二神将の霊験で被害を免がれ、明和四年土をお越し安永二年三月..
安永二年北条瑞益の編の縁起によると大同年間(806−810)塩釜六社大明神より分神、その後荒廃する。たまたま宝暦七年五月二三日大洪水の時、十二神将の霊験で被害を免がれ、明和四年土をお越し安永二年三月十五日新神殿に奉遷したとある。 村民の伝承は前述とは違い、明神は洪水によって流され、神前の水田に留まり滝の山の尊像として神殿を作り奉仕したものという。 御神体は一本細工の木像で破損も甚だしく、正しい年代は判明しないが、鎌倉期ごろの作風と思われる。元和九年の検地帳によると明神に奉仕する霊験者、泉蔵院更に宮田、神子田、笛吹田等が存在することが記載されている。よって古神なることも明白である。
保食神
鎌倉期の作とされる一本細工の木像
旧村社 十四等級
大同年間
4月29日