きっしょうえんじ
大阪府貝塚市王子703
以下、公式HPの縁起から引用。
当時は白鳳時代(7世紀後半)の開基と伝えられています。その後天平年間(729〜749)に僧行基によって再興されたと言われています。本尊さまは海から御出川(現在の..
当時は白鳳時代(7世紀後半)の開基と伝えられています。その後天平年間(729〜749)に僧行基によって再興されたと言われています。本尊さまは海から御出川(現在の見出川)から貝に乗って貝田の森に出現されました。吉祥天女像は平安初期に著された「日本霊異記」に記載されている逸話の像で、元は槇尾山施福寺にあったものを移したものと伝えられています。その後何度も戦火に遭い衰退していきましたが、文禄年間から慶長年間に本堂、薬師堂が再建されたといわれています。
建仁元年(1201)10月7日条に後鳥羽上皇一行が熊野詣の途中に当寺で昼食を取ったことが「後鳥羽院熊野行幸記」に書かれています。
寛政年間(1789〜1801)の和泉国寺社境内帳には”真言宗 仁和寺塔頭真乗院 白谷山大楽院 無住 吉祥園寺”と記されております。その後江戸末期に地震によって本堂等が倒壊し、その後再建されました。その時代より檀家はなく信仰者によって支えられてきたお寺です。
寺宝の【十六羅漢画像】は兆殿司筆と伝え羅れています。寛永年間(1624〜1643)岸和田城主松平周防守が城中に運びその後、石州浜田への国替えに持ち去られ、屏風にしたところ城中に悲劇が起こり、夜な夜な悩まされたので、また当寺に戻されたと記されています。※十六羅漢画像は釈迦三尊並十六尊像がそろっており貴重なものです。
真言宗