ごしょばらだいじんぐう
山口県長門市西深川2607番地
奈良時代の天平神護年中(七六五~)の創建と伝えられるが、其の由来は不詳。藩政時代は藩主毛利氏の崇敬が厚く、江戸時代の寛文元年(一六六一)に毛利綱広が本殿を再建する。宝永五年(一七〇八)には藩主毛利吉..
奈良時代の天平神護年中(七六五~)の創建と伝えられるが、其の由来は不詳。藩政時代は藩主毛利氏の崇敬が厚く、江戸時代の寛文元年(一六六一)に毛利綱広が本殿を再建する。宝永五年(一七〇八)には藩主毛利吉元の内命により、笠原源兵衛頼尚が願主となって小堂を建立するが、これ以降藩主による奉幣・祈願・鳥居の造営・神宝の寄進等はしばしばあった。明治四十年(一九〇七)、神社統合の官命により飯山八幡宮境内社に合併されたが、敬虔なる崇敬者の懇請により、大正十二年(一九二三)、復旧許可の指令があり、同時に村社に列せられた。また伊勢の皇大神宮に憚って「五十鈴神社」と称していたが、終戦後もとの社名にもどった。
天照皇大神 豊受姫大神
無料
あり