ようこういん
神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢中町11-9
陽光院は一七〇〇年頃の江戸時代、今から約三〇〇年前に開山されました。しかし、開山当時からここ三ツ沢にあったのではなく、二度の引越しを経て現在の場所に移ったと言われています。 陽光院が初めて建立..
陽光院は一七〇〇年頃の江戸時代、今から約三〇〇年前に開山されました。しかし、開山当時からここ三ツ沢にあったのではなく、二度の引越しを経て現在の場所に移ったと言われています。 陽光院が初めて建立された場所は、現在の京浜急行神奈川駅、青木橋付近でした。江戸期は神奈川宿が位置する所で、お寺も多くの参拝で賑わったと言われています。 しかし、開山から約二〇〇年後の大正初め頃、寺院運営が悪化し、引越しを余儀なくされ、現在地にほど近い三ツ沢南町にお寺を移したと言われております。これが最初の引越しとなります。 そして、新たな場所で陽光院は興隆を掲げましたが、大正十三年の関東大震災、昭和二十年の横浜大空襲で伽藍が焼失してしまい、苦難の道を歩む事となりました。 そして昭和二十三年の農地改革を機に、再び陽光院は引越しをし、現在の三ツ沢中町に移りました。これが2回目の引越となります。
圓明山
陽光院
曹洞宗
釈迦如来
石牛天梁大和尚
有り(境内地約10台、三ツ沢墓地隣接3台有り)