こうもりじょうあと
京都府福知山市大江町河守
河守城は新治蔵之佐利照によって築かれたと伝えられています。 約200年にわたり新治氏の居城であり、その後、物部城主・上原氏に滅ぼされたあとは上原福寿軒が城主をつとめています。 廃城時期は不明です..
河守城は新治蔵之佐利照によって築かれたと伝えられています。 約200年にわたり新治氏の居城であり、その後、物部城主・上原氏に滅ぼされたあとは上原福寿軒が城主をつとめています。 廃城時期は不明ですが、明智光秀が細川幽斎・忠興らとともに、福知山城から天橋立へ向かう際にこの城に立ち寄ったという言い伝えがあります。 現在城址には土塁や切岸の遺構が良好に保存されており、登城口は新治氏の菩提寺でもある浄仙寺の裏側にあります。