ほうこうじ
高知県高岡郡越知町越知甲1633
元は松山市内にあり、久松松平家の初代松山藩主・定行公が三河国より密上演浄禅師を迎えて開山したと言う。以来松山藩主松平家の菩提寺として栄えたが、明治期の廃仏毀釈で廃寺となった。その後明治中期になってそ..
元は松山市内にあり、久松松平家の初代松山藩主・定行公が三河国より密上演浄禅師を迎えて開山したと言う。以来松山藩主松平家の菩提寺として栄えたが、明治期の廃仏毀釈で廃寺となった。その後明治中期になってその名跡を惜しみ、官許を得てかつて寺屋敷があった当地に再興した。戦後、法相宗の奈良・興福寺の末寺となっている。
元は松山藩主の菩提寺として愛媛県松山市にあったが、廃仏毀釈で廃寺の後、明治中期に官許を得て当地に再興された。知恵の文殊の寺、加持祈祷の専門道場として名高い。
金峯山
法相宗
不明
文殊菩薩
密上演浄禅師
松平定行公
明治中期
金峯山峰興寺
越知の文殊さま
新四国曼荼羅霊場第五十八番札所
文殊大祭(旧暦六月二十四日)
境内自由
有り