じっそういん
長野県上田市真田町傍陽5921
創建は、神亀2年(725)、行基菩薩によって開かれたと伝わる。 大同元年(806)、角間渓谷の岩屋で毘邪(ひや)王が鬼達を率いて村人に悪行の数々を尽くしていた際、朝廷は四道将軍の坂上田村麻呂を派遣..
創建は、神亀2年(725)、行基菩薩によって開かれたと伝わる。 大同元年(806)、角間渓谷の岩屋で毘邪(ひや)王が鬼達を率いて村人に悪行の数々を尽くしていた際、朝廷は四道将軍の坂上田村麻呂を派遣した。 毘邪王は、妖術の使い手だったため、なかなか倒すことが出来ず、困った坂上田村麻呂は、実相院に安置されていた馬頭観音に祈願すると、妖術が封じられようやく討伐することができた。 毘邪王の遺骸は、金属の鎖で縛ったまま実相院の境内に埋められ、金縄山慈済寺実相院と山号が改称された。
将軍の祈願寺として寺運も隆盛し、貞治6年(1367)には、将軍執権堀田式部少輔が観音堂を再建し、石造宝篋印塔を建立した。
金縄山
天台宗
神亀2年(725)
馬頭観音
行基菩薩
石造宝篋印塔 長野県宝
有り