にしざかじんじゃ
千葉県香取市西坂424
社伝に「常陸下総両国之境雌雄の浦と申す処に年久しく御遷座在らせられ、夫より天武天皇の御宇白鳳二酉年鴇崎村御遷座、其の後文徳天皇御宇斉衡二申戌年神勅にて西坂郷に御遷座、寛永二十癸未年焼失、慶安元年戊子..
社伝に「常陸下総両国之境雌雄の浦と申す処に年久しく御遷座在らせられ、夫より天武天皇の御宇白鳳二酉年鴇崎村御遷座、其の後文徳天皇御宇斉衡二申戌年神勅にて西坂郷に御遷座、寛永二十癸未年焼失、慶安元年戊子年御領主代官一色忠治郎殿内窪谷勘右衛門出没にて奥殿建立、天和二年壬戌年大久保伊賀守殿内赤沢太郎佐衛門、伊平久佐衛門両代官出役にて拝殿造営、延宝元禄正徳安永年中領主に於いて修理をなせり」と記す。
面足命・大己貴神・惶根尊・少彦名命
白鳳2年(673年)
西坂の明神様
5月6日
有り