ふなきたじんじゃ
神奈川県厚木市松枝1-13-1
古代、この地方を船喜田郷(後に船田郷)と称された頃、郷中の鎮守社として本社(船喜田明神社)は勧請された。以来、この地方を厚木郷と称して、後も郷民崇敬篤く八百余年の歴史を伝承す。近世(江戸時代)に入る..
古代、この地方を船喜田郷(後に船田郷)と称された頃、郷中の鎮守社として本社(船喜田明神社)は勧請された。以来、この地方を厚木郷と称して、後も郷民崇敬篤く八百余年の歴史を伝承す。近世(江戸時代)に入ると牛頭天王社(註:現厚木神社)・熊野大権現と共に厚木村の鎮守となり、船喜田明神社はその総鎮守であった。当社の本地仏は薬師如来にして別当(厚木山)東光寺の支配下にあった。明治六年明治政府の神仏分離令により厚木町の三社を合祀して郷社厚木神社が創建されると当船喜田明神社は廃社となる。古来より由緒ある神社にして町民の崇敬厚く再建の議起り明治二十三年九月厚木町長より神奈川県知事へ神社復旧願が提出され明治二十五年本殿が再建新築された。 爾来厚木地区松枝元町東町の住民を氏子として毎年九月十九日を祭日としていたが現在では九月中旬の曜日に開催される(境内の掲示板より)。
大己貴命
不詳