わかひさすみよしじんじゃ
福岡県福岡市南区若久1丁目20-28
当住吉神社の由緒は、定かでは、ないが、筑前國続風土記の若久村、当社の項では、「産神なり。いにしへ当村は、住吉社の神領のよし本社の古證文に在。故にここにも祠れるなり。本編に此社の南の原上に廣平の地あり..
当住吉神社の由緒は、定かでは、ないが、筑前國続風土記の若久村、当社の項では、「産神なり。いにしへ当村は、住吉社の神領のよし本社の古證文に在。故にここにも祠れるなり。本編に此社の南の原上に廣平の地ありと見えたるは即社の南に續ける丘なり。廣さ五反許あり。今ㇵ松樹茂りし、宮山の内なり。供日田とあり。むかしの祭料か。」とある。 ここにある住吉社とは、《筑前国の一宮》博多区住吉の住吉神社であり、本社の古證文にあるとは、建武三年(西暦1336)三月八日源朝臣よりの寄進状に若久村三町が住吉社の神領であることが記されている。この時期は、南北朝時代であり、当社創建は、これ以降で、続風土記の記された江戸期には、神社が創建されていたことから、その間の創建であるが、戦国期の創建は、困難とおもわれる故、江戸期前期頃の創建か。 当社の主祭神 住吉大神(底筒男命・中筒男命・上筒男命)は、記紀によると神代の昔、伊弉諾大神が、妻の伊邪那美大神を慕って、黄泉の国の穢れに触れ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓いされし時に、綿津見大神や禍津日神等と共に成りませる神たちで、こののち天照大御神、月読命、須佐之男命が、現れられるが、これら三貴神に先んじて現われし神々です。この禊祓いをされし、小戸の阿波岐原こそ、諸説はありますが、現在の福岡市中心部と思われます。 背景として、現在の福岡市中心部は、古くは、博多湾が入り組んでおり神代の昔は、かなりの部分は、博多湾の中(那の津)と推測されます。福岡市の南区には、三宅の地名があるが、古くは、海岸線で、海外接渉の為に宮家が置かれたところといわれており、他にも塩原、草ヶ江、美野島(簑島)や、荒津の岬からの長い浜で長浜などの地名も海岸を示す地名であり。住吉神社所蔵の「博多古図」では、鎌倉期以前は、福岡市の中心部は、かなりの部分が海中であり、蓑の形をした簑島は、島であったことがわかる。 この一帯に上記の住吉大神を祀る住吉神社、綿津美大神を祀る志賀海神社、禍津日神を祀る警固神社等あり、当社も所縁あり、この地に鎮座させたと思われる。
福岡市南区若久に鎮座する若久住吉神社。総面積は約2000坪で周囲は竹林と樹木に囲まれ,神々とした神域を醸しています。
底筒男命(そこつつおのみこと) 中筒男命(なかつつおのみこと) 表筒男命(うわつつおのみこと) 菅原神(すがわらしん)
旧村社
『延喜式』神名帳に記載がある住吉神社の七社いわゆる住吉七社の一つ。
10月16日
JR博多駅から南に直線でおよそ5km
有り