そうげんじ
群馬県渋川市赤城町勝保沢甲99
1614年(慶長19年)に小笠原秀政が関三刹て名高い大中寺の別伝存策大和尚を招いて開山。1614年とすると秀政は信州松本藩て隠居時、翌年1615年には息子忠脩が大阪夏の陣で死去、秀政もその時の傷が元..
1614年(慶長19年)に小笠原秀政が関三刹て名高い大中寺の別伝存策大和尚を招いて開山。1614年とすると秀政は信州松本藩て隠居時、翌年1615年には息子忠脩が大阪夏の陣で死去、秀政もその時の傷が元で死去した時期です。 境内にあった碑文には秀政が帰依していた大中寺の別伝存策が群馬の雙林寺(信越、群馬の曹洞宗の僧録所)に晋住出来なかったことから、雙林寺を見下ろすこの地に当寺を建立、寄進したとのことです。 宗玄とは秀政の号にして、本寺の寺紋も三階菱。
快中山
東内院
曹洞宗
慶長十九年 1614年
釈迦牟尼仏
別伝存策大和尚
小笠原信濃兵部大輔秀政
快中山東内院宗玄寺