造海城は浦賀水道に面し、白狐川の河口を見下ろす丘陵の先端に築かれました。目の前には東京湾が広がり、対岸わずか12km先に三浦半島があり、戦国期には北条水軍の拠点であった浦賀城(横須賀市)を正面に見ることができます。「造海(つくろうみ)」という名は、中世の郷名に由来し、「つくろふミの城」として中世文書等に登場しますが、「百首の要害」「百首の湊」としても度々散見するため、別名「百首城」とも呼ばれています。築城時期などの詳細は不明ですが、真里谷武田氏が上総国に勢力を広げていく過程の中で城として取り立てられたと思われます。