こうやじょう
千葉県柏市増尾4丁目11
幸谷城は「きつね山」と呼ばれる小丘に築かれ、城山の東側と南側には谷津がめぐっています。今も近くまで川が人り込んでいて、城が使われていた当時も手賀沼に流れる河川を利用して機能していたことが推測できます..
幸谷城は「きつね山」と呼ばれる小丘に築かれ、城山の東側と南側には谷津がめぐっています。今も近くまで川が人り込んでいて、城が使われていた当時も手賀沼に流れる河川を利用して機能していたことが推測できます。千葉一族相馬氏の居館ともいわれていましたが、近年は調査による出土物などにより、15世紀後半に築かれ16世紀まで使われていた可能性が指摘されています。食い違い虎口や複数に折れる土塁や堀から、 増尾城と同じように小金城主高城氏に関連する城と想定できます。