うつぬきくまのじんじゃ
東京都八王子市兵衛2丁目16
熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが、「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。 境内には寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和二(1765)年..
熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが、「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。 境内には寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和二(1765)年に造られた狛犬の像があります。これらはいずれも「奉納大六天」の文字が刻まれており、この頃既に「第六天社」があったことがうかがわれます。 また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟(のぼり)には、寛政十二(1800)年二月「奉納赤山大明神御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。 神社の古文書が収納されている箱の表書きには「大六天」「赤山大権現」と並び「熊野大権現」「津嶋牛頭天王宮」との記載があります。現在の社殿に掲げられた「熊野宮」という扁額の裏には「干時 文政八(1825)乙酉年七月吉日 氏子中」と記されています。 熊野の神と牛頭天王は共に素盞嗚尊のことであることから、この文政年間に共に合祀されたものと思われます。 これらから当神社は、江戸時代中期頃「第六天社」と「赤山大明神」を祭祀し創建された後、江戸時代末の文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王宮」を合祀し、以後「熊野神社と総称しているものと思われます。 拝殿は古文書によると安政三年(1856)年から文久元年(1861)にかけて改修、遷宮が行われたものと推察されます。
ー現地案内板による
兵衛二丁目 (旧・宇津貫町の一部) に鎮座する神社
熊野権現
宇津貫熊野神社