あいぜんじんじゃ
山形県山形市松原
此地は旧出羽大通の一角で明和元年には塞の神(道祖進)が祀られていた。 文化十一年(1814)三宅善三郎他七名が愛染明王を合祀し長谷堂の名工栗野乙松に依頼して本堂を創建し明治四五年忠魂碑建之の際現地..
此地は旧出羽大通の一角で明和元年には塞の神(道祖進)が祀られていた。 文化十一年(1814)三宅善三郎他七名が愛染明王を合祀し長谷堂の名工栗野乙松に依頼して本堂を創建し明治四五年忠魂碑建之の際現地に移築された。 昭和六年基礎台座屋根替の改修がされたが、その後損傷甚だしく此の度山形ニュータウン開発等変革を機に大修理屋根銅板葺等を発願し地主松原財菅組合はじめ有志五十名のご芳志を仰ぎ改修整備を行なった。 平成十二年八月二十六日 施主(宮守) ー現地石板による
神社のある丘をオサヤジと称するが御塞神の略称である。 この丘が上山に通じる山坂道への出入口にあたり明和元年には旅人を守る塞の神が祀られていた。 その後愛染神社と称し、交通安全・良縁・安産等の神として崇められている。
塞の神
明和元年(1764年)以前