しょうねんじ
長野県上田市下武石396
観音寺の始まりは、平維茂(たいらのこれもち)が、戸隠山の紅葉征伐の前に、本村上平に仮屋を置いて、諸仏を置いて祈願し、賊を退治した後、堂宇を建立し行基菩薩の阿弥陀仏を安置し、光明山 摂取院 称念寺と公..
観音寺の始まりは、平維茂(たいらのこれもち)が、戸隠山の紅葉征伐の前に、本村上平に仮屋を置いて、諸仏を置いて祈願し、賊を退治した後、堂宇を建立し行基菩薩の阿弥陀仏を安置し、光明山 摂取院 称念寺と公称したのが始まり。 永正年間(1504-1521)に領主大井信廣が現在地に移し、圓譽上人京都知恩院の末派に属し、光明山 正念寺と改めた。
光明山
摂取院
浄土宗
知恩院
阿弥陀如来
大井信廣領主により圓譽上人が中興開山
真田信之の位牌(平成27年 160年ぶりに本尊裏から発見鑑定し確定)
なし
あり