じづかじんじゃ
愛知県名古屋市名東区神月町602番地
天正十二年長久手合戦の時、敵味方多くの戦死者が猪子石香流川のほとり八反田にあった。 植田城主次男「横地秀種」は徳川方で参陣し腰から下に深手を負い香流川まで逃れたがそれが元で戦死したと伝えられる。..
天正十二年長久手合戦の時、敵味方多くの戦死者が猪子石香流川のほとり八反田にあった。 植田城主次男「横地秀種」は徳川方で参陣し腰から下に深手を負い香流川まで逃れたがそれが元で戦死したと伝えられる。猪子石城(現在の月心寺あたり)の城主で叔父の「横地秀次」を頼ってこの地まで来たともいわれている。戦後敵味方の死体を合葬して横地塚と命名したが、年とともに地形も変わり田に開墾されたが塚のみ残り明治に至った。何時からか伝えられたことに何病によらず腰から下の病気と称して信心すれば不思議と霊験があるとされた。 明治、大正と社の奉納や管理・運営の移行などの変遷を経て、令和二年五月に名東区香坂の地からここ猪子石神明社境内に社を移して現在に至る。
痔塚大神、大物主神、湍津姫命
猪子石神明社境内社