ふくせんじ
山口県下関市豊前田町 1-5-11
下関市は明治22年全国最初の31市の一つ赤間ヶ関市として誕生し、豊前田は旧山陽下関駅と北前船の寄港地下関港に近く、関門トンネルが出来るまでは山陽本線下関駅が本州最西端であったところから、大陸に渡るに..
下関市は明治22年全国最初の31市の一つ赤間ヶ関市として誕生し、豊前田は旧山陽下関駅と北前船の寄港地下関港に近く、関門トンネルが出来るまでは山陽本線下関駅が本州最西端であったところから、大陸に渡るには必ず一泊しなければならないので古くから色町で栄えた町。ここの旦那衆達の寄進により今の諸堂は昭和8年建立となった。 色町の盛んな頃、綺麗どころが豊前田谷の入り口にある紅葉湯(銭湯)に入り、身を清めお寺と紅葉神社に参拝後一日が始まったと言われている。 境内続きの紅葉(もみじ)神社は、明治までは当山の鎮守で境内を同じくしていたが、廃仏毀釈で分離され別の宗教法人となっている(今では町内の管理)寺の前の谷筋を昔は紅葉(モミジ)谷と言っていた。紅葉の名所だったと思はれる。 谷の入り口山門下辺りまでは良質で豊富な水脈があるところ。 境内近くに三つの井戸があり、谷の入り口の紅葉湯(銭湯)は地下水を使用していたと言う。元来は霊水が湧く寺という事で福泉(仙)寺と号していた。後に泉が仙に替わる。 戦時中には陸軍がまず水質を調べ、大陸に近い(本州最西端)と言う地の利と合わせて大陸に物資を運ぶ関東軍暁部隊が当山に駐屯した。
金谷山
高野山真言宗
日和山八十八ヶ所巡り
長澤芦雪の大幅画 酒井抱一小幅画 [朝顔と石竹] 源氏・平家の寄進状 幕末期の彗星スケッチ図三枚
下関駅から600m
※駐車場は2・3台しか止められません。 (崖の下の民間の月極駐車場には、止めないようにご注意ください) 毎月21日のお大師さんのご縁日には、日和山公園から入れば奥の院前広場に駐車出来ます。