うだまつやまじょう
奈良県宇陀市大宇陀春日・拾生・岩清水
宇陀松山城の正確な創建年は定かではないが、南北朝期から戦国時代、宇陀郡の国人秋山氏の居城であった秋山城が前身だと考えられている。天正13年(1585)豊臣秀吉の弟秀長が大和一国を支配すると、宇陀郡は..
宇陀松山城の正確な創建年は定かではないが、南北朝期から戦国時代、宇陀郡の国人秋山氏の居城であった秋山城が前身だと考えられている。天正13年(1585)豊臣秀吉の弟秀長が大和一国を支配すると、宇陀郡は豊臣家配下の大名が領した。本格的な近世城郭として整備されたのは多賀秀種が城主の時期と考えられ、城下町の整備と並行して城の改修が行われた。秀種は関ヶ原の戦いで西軍に味方した為改易され、宇陀郡には福島正則の弟高晴が入り、この時に松山城と改名された。元和元年(1615)、大坂の陣において大阪方に内通した疑いで福島氏は改易となり、城は廃城とされ建物と石垣の殆どが破却された。 山城としては珍しい縄張りをしており、城郭の中央に総石垣の天守郭と本丸が並ぶ。その周囲を帯郭が取り囲み、三ヶ所に複雑な構造の虎口を備えている。 2017年に続日本100名城166番に指定された。
近鉄大阪線「榛原」駅より奈良交通バス「大宇陀」行きで約20分「大宇陀」下車徒歩約20分
無料
約1時間
専用の駐車場は無し