みなもとのためとものほこら(みなもとのためともれいじん)
神奈川県横浜市港南区上大岡東1丁目7
この「源為朝の祠」の石碑には源為朝霊神鎮座と刻まれています 源為朝は源為義の8番目の子で、鎮西八郎と呼ばれていました。 1156年の保元の乱で父とともに崇徳上皇に味方して戦い、敗れた為に落人とな..
この「源為朝の祠」の石碑には源為朝霊神鎮座と刻まれています 源為朝は源為義の8番目の子で、鎮西八郎と呼ばれていました。 1156年の保元の乱で父とともに崇徳上皇に味方して戦い、敗れた為に落人となり、この地に隠れ住んだと言われています。 逃れたが後に捕まり自慢の弓を射ることが出来ないよう左腕の筋を抜かれ伊豆大島に流されたという説があります。 琉球の正史である「中山世鑑」には源為朝は琉球 (沖縄) へ逃れ、その子が琉球王朝の始祖とされる舜天になったとされています。
京急本線・横浜市営地下鉄ブルーライン 上大岡駅から徒歩4分
常時(参拝自由)
無料
10分未満(3分程度)
無し