ほうえんじべついんちょうえんじ
大阪府大阪市生玉寺町4番29号
長圓寺は慶長11年(1606) 巌蓮社照誉上人により開山される。 昭和20年(1945)3月13日の 大阪大空襲にて伽藍を焼失。 当時の住職が庫裏を建て 本堂建立に尽力するものの 思うよ..
長圓寺は慶長11年(1606) 巌蓮社照誉上人により開山される。 昭和20年(1945)3月13日の 大阪大空襲にて伽藍を焼失。 当時の住職が庫裏を建て 本堂建立に尽力するものの 思うように再建成らず 縁ある寺院に助力を依頼した ところ、生玉組大宝寺住職の 紹介により千日前法善寺と 縁を結ぶこととなった。 昭和30年(1955)頃のこととされる 千日前法善寺も空襲により 伽藍を焼失しており 金毘羅堂・庫裡等は再建できて いたが、本堂は未着手であった為め長圓寺境内を法善寺の飛び地境内と位置づけ、昭和35年(1960)頃、そこに本堂を建立。 以上のような経緯を経て、長圓寺は法善寺別院としてその法灯をつぐこととなった。
究竟山
浄土宗
阿弥陀仏立像
巌蓮社照誉上人
慶長11年(1606年)
長圓寺(法善寺別院)
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第37番